普天満宮の宮司さんの新垣義夫さんです。
新垣義夫さん
新垣義夫さん

普天満宮
新しくなった普天満宮

熊野本社
熊野本宮
(byユネスコ世界遺産)


盛嶋の心

「盛嶋」の心の刻字
「復帰二十周年記念」と盛嶋開鐘写

 問 普天満宮の古材で、三線を作られるそうですね。
 答 今度の新築でお世話になった方々に記念とお礼
   の意味で、取壊した社殿の材料で三線を作って
   差し上げようと云う事です。又吉さんに五丁の
   の三線をお願いしました。
   沖縄では昔、家の周りに「チャーギ」を植えま
   した。本土では「イヌマキ」という木です。台
   風の多い沖縄では防風林の役目もありますし、
   火事の時には延焼を防ぎ、夏の暑さからも守っ
   てくれる樹木なのです。白蟻にも強いので建築
   材料としても優れています。
   今度作る三線はこの「チャーギ」を使います。
   三線の材料は普通「黒木」か「ユシ木」ですか
   ら、この材料が三線に合っているかどうかは、
   ちょっと分からないのですが…
 
 問 熊野三社にも奉納した三線があるそうですが。
 答 1992年に本土復帰二十年の記念事業があり
   まして、その時に三線を六丁製作しました。
   「盛嶋」「与那」「南風原」を二丁ずつ作って
   熊野本宮・熊野新宮・熊野那智に一丁ずつ奉納
   して、その対の三丁を普天満宮に奉納いたしま
   した。
   このときは、まず普天満宮の神前で古典音楽を
   演奏しましてその後、普天満宮洞穴の中で三線
   を演奏しました。
   その三線を和歌山まで運びまして、熊野三社の
   神楽殿で古典舞踊を奉納し神前で三線を演奏し
   て、その三線を奉納したわけです。この三線は、
   その時に普天満宮に奉納した「盛嶋」です。

 問 これも又吉さんの三線ですね。
 答 そうですね。心に「復帰二十周年記念」「盛嶋
   開鐘写」の刻字があります。

 問 熊野権現と普天満宮の関係を教えてください。
 答 普天満宮の創建は、普天間の洞窟に琉球古神道
   神を祀ったことに始まります。15世紀になって
   熊野権現を合祀したと伝えられています。
   琉球八社といわれる神社が在りますが、八幡宮
   を除く七社は熊野権現が合祀されています。
   
 問 又吉さんを選ばれた理由は…
 答 先代の宮司は新垣義志といいますが、琉球舞踊
   の踊り手で、湛水流の古典音楽に振付けをした
   事もある創作舞踊家でもありました。
   そんなわけで、先代が使った衣装や踊りの道具
   などがたくさん残っております。
   これを保存する博物館が欲しいと思ってますが、
   琉球舞踊といったら三線が必要ですから、一緒
   に展示する為に集めるようになりました。
   よその三線店の物も持っています。まあ、そこ
   そこの三線の作り手というのは沖縄にたくさん
   居ります。しかし角々のピシッとした、線の流
   れが素晴らしい、手の細かい丁寧な作りの三線
   は他にはなかなか無いですから。
   私の手元には、本土の三味線の様に三つ折りに
   できる三線や、「レイシの拝領南風原」など、
   先ほどの三丁と合わせて八丁の又吉さんの三線
   あります。そう云う意味では、私も又吉さんの
   ファンであると言っていいと思います。

(2005年 2月)
   
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