名器・開鐘の研究

 私が父の三線屋を受け継いでから、三十年余の月日が過ぎようとしている。はじめの頃は、宜野湾
市の伊佐に店を構え三線を作り販売していた。しかしお客さんの求める三線を、求めるがままに作る
ことに違和感を覚える様になった。三線の棹とカラクイの造り、ばちの形状・ティーガのデザイン、
そして音作りにいたるまで「すべてがズレている」そう感じるようになったからだ。
 そんな矢先に琉球王朝時代の国王や貴族が重宝していたという開鐘や名器の図面を入手する機会を
得た。自分の三線を一から見直すことを痛感していた私は店を畳み、開鐘・名器の研究に没頭するよ
うになった。研究・復元が進む中でわかったのは、名のある三線はそれぞれが違った音作りの工夫が
なされているという事だ。それは昔の人の体格云々では計れない寸法や工夫なのだ。
 それを知った私は先達の美と知恵と工夫を再現し、世に広め後世に継いでゆく事を強く決意した。


三線の写し

 三線の図面をもとに棹作りを始めたが、このときに役に立ったのが
「写し」を取る技術と経験だった。父は大変な三線好きで頭痛がする
時でも「上等三線を見れば直る」と常日頃から口にしている程だった
が、自分で写しを取る事はなく、私の仕事だった。
 張り替えや修理でいい形の三線があると持ち主の方にお願いし、写
しを取らせていただいた。また「どこそこにいい三線がある」と聞く
と同じようにお願いして、三日間の約束で借りて来てその写しも取ら
せていただいた。座喜味博物館に展示されている「鴨口与那」もそう
だし、このホームページの写真で紹介している「平仲知念」や「守林」
もそうした三線である。

 これはその「平仲知念」の写しを取った時のエピソードだ。
 父の知り合いであった持ち主はすでに他界しており、その三線は奥
様が管理していた。わけを話して借りたい胸を伝えると「主人が生き
ていたら、又吉さんにはきっとお貸しするはずですから」と快く許し
ていただいた。仏壇に手を合わせ亡くなった主人に挨拶をして、三日
後に返す約束でその三線をお借りした。
 そして三日後、借りた三線と「写し」の三線と果物などの供え物を
持ってお宅に伺った。仏壇に供え物と線香をあげて「こんな風に勉強
させていただきました」と報告し奥さんに三線の写しを見ていただく
と「良く似ていますね。そう云えばだいぶ以前になりますが、幸地亀
千代さんが借りに来て写しを取りましたが、こっちの方が断然似てい
ますよ」とお褒めの言葉をいただいた。
 写しを取った形の良い三線は、非売品の札がついて家の奥に吊るし
てある。三十棹以上あると思う。三線屋は自分の型の三線を作るもの
だが、私は自分の型にこだわらない。強いて言うならば私の作る三線
の全ては、私の魂が入った私の型の三線である。


平仲知念

 「衡向栄」の銘がある
  故 兼村憲保氏所有の
  「平仲知念」の写し

黒木の迷信

 現在黒木で最高の材料と称されている八重山黒木だが、戦前から三線屋を営み平成十三年に百一歳
で他界した先代の話では、昔は沖縄本島産の黒木が最上級とされており、八重山産は「ヤナー(悪い
材料)」と云われていた。だがやがて本島産が殆ど無くなると八重山産が市場を占める様になり、そ
の頃入ってきたフィリピン産を悪い材料と見下げていた。
 黒木の良し悪しを私の経験と研究からいうと、やはり一番良い物は本島産で次が八重山産、そして
フィリピン産の順番になる。
 本島産は四季があるため木の密度が高く締まりがある。赤道に近いフィリピン産は締まりが少なく
なり八重山産はその中間である。

黒木の良し悪し

 しかし、それは平均的な話でフィリピン産でもよく締まった材料もある。
それは生えている場所に関係する。同じ島でも南側の肥えた土地に生えている木と、北側の荒れた土
地で強い風にさらされた木では大きな違いが出る。島の南側は開けていて肥沃な土地が多くそこに生
えている黒木は、それが大木であっても黒木の実は少ししか入っていない。それに比べ北側は岩場や
絶壁が多く、そこに生えている黒木は実が大きくコシのある良い木が多い。一本の黒木でも北側に向
かっている面と南側に向いている面では北側の方が良い材料となる。
 
材料

 つまり八重山産の黒木でも最下位の材料とフィリピン産の最高位の材料を比べたら、フィリピン産
の方がいい材料の場合もあるのだ。
 このような材料の良し悪しを見抜く目は必要だが、材料で三線の良し悪しは決まらない。云うまで
もない事だが三線を作る技術こそが最も重要なのだ。どんな音を作るかの感性とそれを実現する技術
が備わってはじめて最高の三線が生まれるのだ。

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