太陽文化と三線 開鐘や名器といわれる先達の三線を復元しながら強く感じた事は、技術の習得は無論の事その精神 世界の高さだ。先達の世界を辿って行く中で、自分自身をより高めていかなければ見えてこないし、 また理解できない、そして生み出せないのが三線の音の世界であり音の頂点なのだ。 琉球の文化は太陽文化であり、その太陽のお陰でゆとりのある中に琉球人は生かされてきた。 首里城の門や大切な場所には必ず真ん中に太陽があり、その左右に龍や鳳凰が描かれている。それは 三線の中にもあるのだ。 男弦と女弦は大自然の相対関係を表わし(天と地・明と暗・善と悪…)中弦は中道(太陽)を表わ している。そして中弦・中道(太陽)の中に本当の物事の成就がある。「音の癒しの空間」現代の三 線には程遠いが先達の世界はそこにあり、精進と探求によってのみ達成される。その頂点の音が開鐘 の音なのだ。 人間は苦難の道を乗り越えるたびに器が大きく成長する。その大きさがゆとりを生み、ゆとりの中 から自然と愛や真心がにじみ出てくる。それが琉球文化の行き着く太陽の世界であり、三線に込めら れた太陽なのだ。又、それを知った人間の作り出す三線には魂が入り、優しさ・あたたかさが感じら れる作品になる。そして、その音は弾き手の感情表現を最大限にひきだすだろう。 本物を知らなければ本物の世界はわからない。本物の世界に入らなければ、本物の世界は見えてこ ない。本物の世界に入った時おのずと脚下が見えてくる。そして、その世界に入ったら仕事を淡々と 続けてゆく。そこに又、新しい音作りの課題が見えてくる。それを淡々と… 先達の世界には己の探求がある。成る世界がある。 私は自分の知りたい事のすべてを、三線の精神世界の探求によって知る事ができた。 |
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成る世界の始まり 私にはインスピレーションというか、少し不思議な世界に足を踏み込んでしまう事がある。そうい う時は導かれるままその世界に入ってみる事にしている。時にはテレビ局『なるほどザ・ワールド』 からの取材の申し込みと重なっても、導かれる世界を選んでしまう。(家族から多いに反感を買って しまったが私にはそうせずにはいられないのである)しかもその世界は決して楽しい世界ではない。 むしろ厳しい事ばかりなのだ。しかし素直にその世界と対面できたお陰で、多くの事を学ばせて頂い た事も確かなのだ。 ある日仕事をしていると『夜に摩文仁を歩きなさい』とインスピレーションを受けた。「摩文仁! まさか」私はたじろいで拒否した。摩文仁はご存知の通り去る大戦の最終決戦があった場所だ。追い つめられた多くの人々が亡くなった悲劇の地で各県の慰霊碑がある。多少霊感がある私はそこが大の 苦手で、もしもそこを通ろうものなら北部山原の大自然で身を癒してから帰宅したほどだった。そこ を夜中に歩くとはとんでもない事で、しかも季節は夏で霊もハブも大変怖い! しかしそれを拒否する事はできず、実行するしかなかった。夜中の1時、懐中電灯の明かりだけを 頼りに各県の慰霊碑を巡り、健児の塔に降りた。そして以前テレビで見た遺体がたくさん打ち上げら れていた海に向かっていった。あちこちに霊の気配があり恐怖で毛が逆立つのを感じた。「この岩場 からハブが出てきたら」などと想像したら気が変になるようだった。しかし「もう死んでもいい」と 覚悟を決めて最後まで辿り着く事ができた。私を待っていたのはとても静かな海だった。 そこで私に見えたものは恐ろしい戦場の摩文仁ではなく、平和で華やかな「琉球王朝」時代の摩文 仁だった。南部一帯は沖縄で太陽に一番近く、太陽文化が栄えた所だったのだ。 心地よい風の中に柔らかな太陽の陽射し、その輝きが波のない静かな海にキラキラと反射し、水平 線がまるで一直線に見えた。まるで「あの彼方にニライカナイがある」と信じたくなるような安らぎ を感じた。そしてその水平線と重なって見えたイメージは柔らかな曲線で構成された「拝領南風原」 の棹だった。 「そうだ!この風景の中にいるような、そんな音の三線を作るのだ」新しい音作りの始まりだった。 |
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